再版に当たって
本書の初版が出てから十年、ここに再販される機会が与えられたことにたいして、読者並びに出版社各位に心から謝意を表したい。最近、ウィリアム・ジェイムズの思想が考えなおされている。現象学者達が彼の思想の中にフッサールの面影をみいだしたからである。
本書の執筆時、浅学非才の著者はフッサールについてはまったくといっていいほど無知であり、また、ジェイムズについても、どちらかといえば、「社会思想家」であるとみる傾向が強かったので、当然、視野の狭いジェイムズ論を展開することとなった。今読みかえしてみても、あらためてその観を強くするのであるが、それでも知らず知らずのうちに、(第四章を除いて)認識論擢実在論者としてのジェイムズをもみていたような気もする。それ故に本書がアングロ・アメリカ系の一人間によってとらえなおされた現象学擢思想の解説書としてうけとられるか、それとも一プラグマティストの社会思想のそれとしてうけとられるかどうかは、読者の判断にゆだねられるだろう。ひとえに読者の御教示を願うばかりである。
なお、初版本においては誤植等による不適切な語句が多く、読者に多大のご迷惑をおかけして大変申しわけなく思っている。しかし、再版に当たってはそういった語句の修正だけに留めた。本書は舌足らずで思いあがった著者の不肖の息子ではあるけれど、誕生した以上、それなりの人格を認めてやらねばならないと思ったからである。
一九八三年一月
著者 三橋 浩